家の中の整理って……

・最近また家の中の整理をしていた。家とか部屋の整理をするというのは、過去の自分と向き合うということだったりもする。それも、日記のように何らかの主観あるいは脚色が混じる、あるいは記念写真のように「ハレ」の一瞬を強調して切り取ったものでもなく、ナマナマしく過去の自分のありようを突きつけられる感じだ。

・たとえば、趣味でなんとなく買ったまましまいこんでいたものとか、今では着なくなった洋服だとかを発見すると、その当時の自分のテンションだとか、価値観(というと大げさだけど)だとかといった、忘れかけていた、あるいは忘れようとしていた「自己」がヌメッと目の前に現れる。

・そうやって発掘された過去のテンションなり価値観なりと、今の自分のそれとのギャップが大きければ大きいほど、なんともいえない(多くの場合あまり快いとはいえない)感覚に襲われる。

・それから、僕は絵を描いたりしてきた人間なので、家の中の整理というのは必然的に過去の作品の整理ということにもなる。とりたてて広い家に住んでるわけでも、生活の場と別に制作専用の場所を持っているわけでもないので、学生時代の作品などは処分しないといけないことも多い。当然、これもなかなか精神的なコストがかかる。

・今回もやはりいくつか作品の処分を決断したのだが、そこでふと古谷利裕さんの「偽日記」で、古谷さんが学生以来住み続けた西八王子から実家のある平塚に引っ越すにあたって、実家の倉庫で学生時代の作品を整理したときの日記を思い出したので、ちょっと心の援軍を求めるような感じで(笑)改めて読んでみた。

・以下、2012年4月16日の偽日記から引用させていただきます。

「倉庫とは言っても、土の庭の上に建てられた出来合いのステンレス製の物置で、内部は湿気も高く、保管状態はとても悪い。絵の具が剥離しつつある作品も少なくない。作業をしつつ、いい加減うんざりしてきて、学生時代の自分に、お前、後先考えずに作品つくりすぎだと説教したくなる。」※太線強調は当方

https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/20120416

……もう、そのとおりって感じですね。

・こうして家の整理をするたび、願わくば必要以上に多くのものを持たずに生きたいと思うのだが、絵を描いたりものを作ったりするというのは、そうでない人と比べて、ものの量が増える速度が段違いに速くなるということでもある。10代とか20代前半の頃にはこういうことには気づかない。あるいは気づいても大した問題とは思わなかった。僕にとって大学を出てから現在までの約10年間は、そうした「10代とか20代前半の頃には見逃していたこと」に気付いてはショックを受けるということの繰り返しだったともいえる。