雨、吉牛、aiko
2022年5月3日
夜10時半の吉野家は、雨天にも関わらず遅い夕食を摂る人で混み合っていた。僕が案内されたカウンター席の両脇も既に先客で埋まっていた。店員さんに注文を伝えてしまうと、お冷を飲みながら僕はカウンター奥の壁に設置されているテレビを何となく見上げた。画面の中では、金髪でボウズかつ袖の短いTシャツから腕をニョキッと出した松本人志がゲストと喋っていた。テレビは〈消音〉になっているけれど、画面下のテロップを読めばちゃんと松っちゃんの声がする。
店内では、先ほどから店員の女の人が15秒に1回くらいの頻度で客もしくはキッチンのスタッフに呼ばれている。その度に店員さんは大きな声で返事をし、呼ばれた方角にキビキビと歩いていく。入口のガラス戸からは、濡れた道を走っていく車の音が席まで漏れ聴こえてくる。僕は上着のポケットからカナル型のイヤホンを引っ張り出して耳に押し込み、Spotifyの再生ボタンをタップした。人の声も道路の音も聞こえなくなると同時に、僕の両耳の中でaikoが歌い出す。
ねえ あのひまわり畑も下を向いてる 季節がゆくよ
「ある日のひまわり」。夏の終わりの歌だ。季節外れ。サビから始まった曲は、キーボードとギターのパートを挟んでAメロへと続く。
何度も何度も書き直しては塗り潰して あたしは本当のことを何ひとつ言えなくて
aikoが歌っている間も、テレビ画面の松っちゃんはダウンタウンが31年ぶりに漫才をやった話を続けている。一個言わせてもらうとね、絶対に時事ネタはやらんというのは決めたの。カメラが切り替わって、熱心に頷く千鳥の大悟が映った。この人もボウズ。あ、アンジャの児嶋さんもいる。僕の前で店員さんが立ち止まった。親子丼が乗ったお盆を抱えている。僕がイヤホンを外してお盆を受け取ると店員さんが喋った。
「ご注文の品はお揃いでしょうか」
はい、どうもと返す間もなく、店員さんは今度はレジに向かって小走りに行ってしまった。見るとレジ前に何人か客が溜まっていた。僕は親子丼に向き直り、マスクを外して黒いプラスチックの箸を取った。そしてまたイヤホンを押し込んだ。aikoは「あの日のひまわり」の歌唱を続けていた。
誇れるもの見失ったら 晴れたり曇ったりすることも必要ないと言われた気がした
なんて悲しい歌なんだろう。
僕は白いご飯とその上の黄色いフワフワに包まれた細切れの肉を見ながら思った。再度テレビを見上げると今度は千鳥のノブが喋っているところだった。僕はテロップを読んだ。
「31年やってなかったコンビが漫才やったら、誰よりも面白かった。これは衝撃的なことなんですよ」
今から31年前は1992年。平成元年生まれの僕はギリギリ生まれている。aikoは中学生のときに初めて聴いた。今は、2022年の5月。中学生の頃、市立図書館に何十回も通って借りてはMDにダビングしたCDアルバムのほぼすべてが、今ではネットのサービスで聴けてしまう。aikoはおととし結婚して、今年14枚目のアルバムを出した。僕は33歳になった。HEY!HEY!HEY!でアイドルやバンドマンをいじり回していた松っちゃんは、いつの間にか金髪になり、マッチョになり、ニュースにコメントする人になった。
気づけばテレビ画面では、座っていても背が高いとわかるタレントっぽくない女の人が喋っていた。 僕は画面下のテロップを読んだ。
「栗原恵が現役時代影響を受けた言葉とは?」
驚いた。誰かと思えば元バレーボール日本代表の栗原恵さん。
画面左上には「人志松本の酒のつまみになる話」と番組タイトルが書いてある。なるほど、松ちゃんも千鳥も栗原さんも微熱出したときみたいな顔色なのは、アルコールが入ってたのか。aikoの凄さについてなら2時間でも3時間でもシラフで喋れる、と僕は思った。僕の耳穴の中で今、aikoは素晴らしく伸びやかな声で、曲終盤の絶望的な歌詞を朗々と歌いあげているところだ。
ねえ あのあのひまわり畑も下を向いてる 季節がゆくよ 目も合わせないあたしにあなたは笑わなくなったね もう決してあなたと同じ気持ちで泣けない事も知ってる
aikoが書く詞の多くは、鬱で暗くて後悔と心配が溢れそうにいっぱいだ。人々は「カブトムシ」の歌詞をちゃんと読んだことがあるのだろうか。「あなたが死んでしまってあたしもどんどん年老いて、想像つかないくらいよ」そんな詞の歌が24万枚も売れて、カラオケの定番にもなった。
親子丼を食べながらだんだん僕は、この店内で今aikoの歌を聴いているのが自分だけだということが悔しくてたまらなくなってきた。左隣りの席のおじさんは、箸を口に運びながらお盆の脇に置いた夕刊紙を読んでいた。右隣の若い男の子は、先ほどから定食のおかずに手を付けず白いご飯のお椀ばかりつついている。店員さんは、レジの会計待ちを捌きつつ客席のオーダーと配膳と片付けをこなすという離れ業をなおも続けている。テレビ画面の中の人達は相変わらず「酒のつまみになる話」をしている。
誰もaikoなんて聴いていなかった。