本格野球小説 Me And Mr.OCHIAI その4

Chapter4 青年の回想ーMe meet Mr.OCHIAI

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明日は試合なのだ。さっさと夕食を済ませて早く寝てしまおうーー暗い部屋でベッドに体を横たえたものの、頭が妙な具合に興奮してなかなか眠れぬ僕はセブンスターを吸いながら、今から3週間ほど前のことを思い出していた。

そう、その日も僕は、商店街のすぐ脇にある市営グラウンドの隅でバットを振りこんでいた。平日午後のグラウンドには僕1人しかいなかった。時折ネットの外から学校帰りの小学生がジロジロ僕を見た。ご親切にも「おい、腰が入ってねえぞ!」などと野次を飛ばしたり、ゲラゲラ笑ったりしながら通り過ぎて行く連中もいる。僕はそいつらの頭をジャストミートでぶち割るイメージを頭に描き、いっそう力を込めてスイングする。145回、146回…150回。
「フウッ!」
アンダーシャツの袖で額の汗を拭ったとき、背中の後ろで男の声がした。
「あなた、野球好きなの?」
1人で練習しているとこのように話しかけてくる人間もさして珍しくない。たいていは野球好き、かつ昼から暇を持て余している高齢者だ。
「好きですよ。好きじゃなきゃいい大人がこんなところでバット振ってないでしょう」
僕は声の主に振り向きもせず答えた。
「仕事はしてんの? 学生じゃないよな」
チッ。馴れ馴れしいジジイだな。苛立ちながら振り返った僕は、思わず目を見張った。それから目をこすって二度見した。僕の目の前に立つ、青いスタジアムジャンパーを羽織った禿頭の中年男、それは間違いなく元中日ドラゴンズ監督・落合博満だった。

落合博満は、僕がテレビ画面あるいはナゴヤドームのオーロラビジョンでさんざん見てきた、あのふてぶてしい表情で僕の答えを待っていた。僕は妙な卑屈な気持ちでブツブツと答えた。
期間工ですよ。トヨタの下請け。早番だと15時くらいに仕事が終わるんで、それからここに来てるんです」
すると、落合博満の表情がこれまた何度となく見覚えがあるニヤニヤ笑いに切り替わった。そのまま黙っているので、今度は僕のほうから吹っかけた。
「ところで三冠王3回、日本球界初の1億円プレーヤー、監督としては中日ドラゴンズを4度のリーグ優勝に導いた落合博満さんが、僕なんかに何の用ですか」
「さっきから見てたらあんまりヘッタクソだから」
僕はムッとした。
「もう1回振ってみ」
落合博満はスタジアムジャンパーのポケットに手を突っ込んだまま、アゴで僕に命令した。僕は不承不承、しかし緊張しながらバットを再び両手に握りしめると、左耳近くに構えた。左足で慎重に何度かタイミングを計る。そして息を止め、渾身の力で振り抜いた。
「お前それで打てるか?」落合博満は表情ひとつ変えず聞いた。
僕は屈辱を覚えながら答えた。
「結果が出るまで、少し時間はかかると思います」
「貸してみ」
そう言うと、落合博満はジャンパーのポケットから片手を出すなり僕からバットを奪った。まさか。僕は眼前で起きつつある事態を理解しかねて混乱した。

落合博満が僕に打撃指導?

そんな僕をよそに両足を心持ち開いて足場を決めた落合博満は、視線を落とし、左手に握ったバットを右足の前で振り子のように2、3回ブラブラさせる。その様子はまるで地面の上の見えないホームベースの位置を探り当てているかのようだ。それが済むと、おもむろに右手をグリップに添え右胸の前にバットを構えた。
「トップをつくるだろ? そしたらこう、そのまま降ろしてくればいいの」
そう言うや、禿頭の男がいかにもゆったりと振り降ろしたバットのヘッドは、その脱力感に反して鋭く加速し、一瞬ビュッと切り裂くような音を立てると、そのままフォロースルーの軌道へと鮮やかな円弧を描いた。

初めて目の当たりにした元三冠王のスイングに、思わず見とれたまま突っ立っている僕の方に向き直りながら、落合博満が言った。

「バットっていうのはね、すごく理にかなった形してるの。だけどほとんどの奴が使い方を間違えてるから、いくら一生懸命振っても打てないの」

僕と落合博満、二人だけの打撃塾はこのようにして始まったのだった。

つづく

 ※本作はフィクションであり、登場する人物・組織等は実在のものと一切関係がありません。