夢で川相昌弘さんに会った

今頃思い出したのだが、昨夜の夢に川相昌弘さんが出てきた。しかも野球選手ではなく、左官というのか土官というのか、建設現場でコンクリートを扱う職人さんとして登場した。その作業着姿ときたら背番号0のユニフォームと同じくらいによく似合っている。これは言うまでもなく犠牲バント数世界記録の保持者であり、遊撃手としてはゴールデングラブ賞に輝くこと6回の職人・川相というイメージから来てるに違いない。安直だ。

さて、コンクリート一筋○十○年、熟練の技で鳴らした職人・川相昌弘は、実は今日を最後に現場から引退することを決めていた。

休憩時間なのだろう、コンビニの駐車場(らしき場所)に停めたハイエース(らしき車)の車内で、(川相さんの後輩らしき)僕は川相さんにお礼と労いの言葉をかけ、川相さんはさも名残惜しそうに、僕にいろいろなことを語ってくれた。もちろん、仕事についてのことばかりである。

このあたりで場面は現場に転換するのだが、職人・川相昌弘は己の仕事に信義と誇りを持つがゆえ、頭に血が上りやすいことでも知られているようで、職人生活最後の今日に至ってなお、他職種の職人さんとバチバチを始めそうになっている。そういうことされるとなあ、こっちは仕事にならねえんだよと(たぶんそんな内容だった)、顔半個分ほど背が高い相手に食ってかかる川相さんを数人の仲間がまあまあと止めている。この辺は明らかにYouTubeでも有名な「ヒップアタック事件」(1992年)などの熱血エピソードが僕の深層意識にもたらした影響なのだと思うが、いささか強調されすぎだと言わざるを得ない。なお、川相さんの実際の身長は176センチということなので、プロ野球選手としては小柄ながら世間一般ではむしろ高い部類に入る。

さて、野球選手のほうの川相さんは、僕の子供時代である1990年代における巨人不動の遊撃手である。その後ゴールデンルーキー二岡(99年入団)の台頭により出場機会を減らしていったものの、巨人戦が毎晩地上波で放送されていて、僕が最も野球を熱心に見ていたあの頃に焼き付けられた「二番・ショート川相、背番号0」のイメージは僕の中で今なお(夢に出るほど)薄れないのである。