【読書記録】平野啓一郎「マチネの終わりに」

・2週間ほど前から平野啓一郎の「マチネの終わりに」(文春文庫)をぱらりぱらりと読んでいる。単行本が出たのは2016年、つまり6年前のことで、僕の頭の中の「近いうちに読む」リストには少なくとも4、5年は入ったままだったのだがようやく読み始めた(僕の場合特に珍しいことではないのだけど)。

・作者が現在日本の中堅(注:年齢的な意味で)作家として公に高く評価されている(注:たぶん)……という予備知識の影響は否めないとしても、冒頭3ページに記された「序」の文章にはいきなりちょっと唸ってしまった。こういう簡潔にして出来事の全体を一度に示唆するような文章は誰にでも書けるものではないだろう。もっともこういう趣の「序文」の、その趣自体は一種の様式のようなものではあって、それを最初に発明したのはドストエフスキーなのか、トーマス・マンなのか、それとももっと以前の誰かなのか僕にはちょっとそのへんは教養がないのだけど。

・しかし、その後本編を読み進めるにつれ、あれ……これはもしかして割とフツーに娯楽的な(かつ舞台設定が随分大仰な)中年不倫恋愛小説なのでは?と思い始めた。「あれ……」というのは、僕は序文や「予備知識」から本書をそれこそ「魔の山」のような小説なのであろうと思い込んでいたのだ。だけどカバーの折り返しを見たら「本作は第2回渡辺淳一文学賞を受賞」と書いてあったので、やっぱり普通に中年不倫恋愛小説なのかもしれない。ともあれ、もうちょっと読んでみないとわからないでしょう。

雨、吉牛、aiko

2022年5月3日
夜10時半の吉野家は、雨天にも関わらず遅い夕食を摂る人で混み合っていた。僕が案内されたカウンター席の両脇も既に先客で埋まっていた。店員さんに注文を伝えてしまうと、お冷を飲みながら僕はカウンター奥の壁に設置されているテレビを何となく見上げた。画面の中では、金髪でボウズかつ袖の短いTシャツから腕をニョキッと出した松本人志がゲストと喋っていた。テレビは〈消音〉になっているけれど、画面下のテロップを読めばちゃんと松っちゃんの声がする。

店内では、先ほどから店員の女の人が15秒に1回くらいの頻度で客もしくはキッチンのスタッフに呼ばれている。その度に店員さんは大きな声で返事をし、呼ばれた方角にキビキビと歩いていく。入口のガラス戸からは、濡れた道を走っていく車の音が席まで漏れ聴こえてくる。僕は上着のポケットからカナル型のイヤホンを引っ張り出して耳に押し込み、Spotifyの再生ボタンをタップした。人の声も道路の音も聞こえなくなると同時に、僕の両耳の中でaikoが歌い出す。

 

 ねえ あのひまわり畑も下を向いてる 季節がゆくよ

 

「ある日のひまわり」。夏の終わりの歌だ。季節外れ。サビから始まった曲は、キーボードとギターのパートを挟んでAメロへと続く。

 

 何度も何度も書き直しては塗り潰して あたしは本当のことを何ひとつ言えなくて

 

aikoが歌っている間も、テレビ画面の松っちゃんはダウンタウンが31年ぶりに漫才をやった話を続けている。一個言わせてもらうとね、絶対に時事ネタはやらんというのは決めたの。カメラが切り替わって、熱心に頷く千鳥の大悟が映った。この人もボウズ。あ、アンジャの児嶋さんもいる。僕の前で店員さんが立ち止まった。親子丼が乗ったお盆を抱えている。僕がイヤホンを外してお盆を受け取ると店員さんが喋った。

「ご注文の品はお揃いでしょうか」

はい、どうもと返す間もなく、店員さんは今度はレジに向かって小走りに行ってしまった。見るとレジ前に何人か客が溜まっていた。僕は親子丼に向き直り、マスクを外して黒いプラスチックの箸を取った。そしてまたイヤホンを押し込んだ。aikoは「あの日のひまわり」の歌唱を続けていた。

 

 誇れるもの見失ったら 晴れたり曇ったりすることも必要ないと言われた気がした

 

なんて悲しい歌なんだろう。

僕は白いご飯とその上の黄色いフワフワに包まれた細切れの肉を見ながら思った。再度テレビを見上げると今度は千鳥のノブが喋っているところだった。僕はテロップを読んだ。

「31年やってなかったコンビが漫才やったら、誰よりも面白かった。これは衝撃的なことなんですよ」

今から31年前は1992年。平成元年生まれの僕はギリギリ生まれている。aikoは中学生のときに初めて聴いた。今は、2022年の5月。中学生の頃、市立図書館に何十回も通って借りてはMDにダビングしたCDアルバムのほぼすべてが、今ではネットのサービスで聴けてしまう。aikoはおととし結婚して、今年14枚目のアルバムを出した。僕は33歳になった。HEY!HEY!HEY!でアイドルやバンドマンをいじり回していた松っちゃんは、いつの間にか金髪になり、マッチョになり、ニュースにコメントする人になった。

気づけばテレビ画面では、座っていても背が高いとわかるタレントっぽくない女の人が喋っていた。 僕は画面下のテロップを読んだ。

栗原恵が現役時代影響を受けた言葉とは?」

驚いた。誰かと思えば元バレーボール日本代表栗原恵さん。

画面左上には「人志松本の酒のつまみになる話」と番組タイトルが書いてある。なるほど、松ちゃんも千鳥も栗原さんも微熱出したときみたいな顔色なのは、アルコールが入ってたのか。aikoの凄さについてなら2時間でも3時間でもシラフで喋れる、と僕は思った。僕の耳穴の中で今、aikoは素晴らしく伸びやかな声で、曲終盤の絶望的な歌詞を朗々と歌いあげているところだ。

 

 ねえ あのあのひまわり畑も下を向いてる 季節がゆくよ 目も合わせないあたしにあなたは笑わなくなったね もう決してあなたと同じ気持ちで泣けない事も知ってる

 

aikoが書く詞の多くは、鬱で暗くて後悔と心配が溢れそうにいっぱいだ。人々は「カブトムシ」の歌詞をちゃんと読んだことがあるのだろうか。「あなたが死んでしまってあたしもどんどん年老いて、想像つかないくらいよ」そんな詞の歌が24万枚も売れて、カラオケの定番にもなった。

親子丼を食べながらだんだん僕は、この店内で今aikoの歌を聴いているのが自分だけだということが悔しくてたまらなくなってきた。左隣りの席のおじさんは、箸を口に運びながらお盆の脇に置いた夕刊紙を読んでいた。右隣の若い男の子は、先ほどから定食のおかずに手を付けず白いご飯のお椀ばかりつついている。店員さんは、レジの会計待ちを捌きつつ客席のオーダーと配膳と片付けをこなすという離れ業をなおも続けている。テレビ画面の中の人達は相変わらず「酒のつまみになる話」をしている。

誰もaikoなんて聴いていなかった。

本格野球小説 Me And Mr.OCHIAI その4

Chapter4 青年の回想ーMe meet Mr.OCHIAI

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明日は試合なのだ。さっさと夕食を済ませて早く寝てしまおうーー暗い部屋でベッドに体を横たえたものの、頭が妙な具合に興奮してなかなか眠れぬ僕はセブンスターを吸いながら、今から3週間ほど前のことを思い出していた。

そう、その日も僕は、商店街のすぐ脇にある市営グラウンドの隅でバットを振りこんでいた。平日午後のグラウンドには僕1人しかいなかった。時折ネットの外から学校帰りの小学生がジロジロ僕を見た。ご親切にも「おい、腰が入ってねえぞ!」などと野次を飛ばしたり、ゲラゲラ笑ったりしながら通り過ぎて行く連中もいる。僕はそいつらの頭をジャストミートでぶち割るイメージを頭に描き、いっそう力を込めてスイングする。145回、146回…150回。
「フウッ!」
アンダーシャツの袖で額の汗を拭ったとき、背中の後ろで男の声がした。
「あなた、野球好きなの?」
1人で練習しているとこのように話しかけてくる人間もさして珍しくない。たいていは野球好き、かつ昼から暇を持て余している高齢者だ。
「好きですよ。好きじゃなきゃいい大人がこんなところでバット振ってないでしょう」
僕は声の主に振り向きもせず答えた。
「仕事はしてんの? 学生じゃないよな」
チッ。馴れ馴れしいジジイだな。苛立ちながら振り返った僕は、思わず目を見張った。それから目をこすって二度見した。僕の目の前に立つ、青いスタジアムジャンパーを羽織った禿頭の中年男、それは間違いなく元中日ドラゴンズ監督・落合博満だった。

落合博満は、僕がテレビ画面あるいはナゴヤドームのオーロラビジョンでさんざん見てきた、あのふてぶてしい表情で僕の答えを待っていた。僕は妙な卑屈な気持ちでブツブツと答えた。
期間工ですよ。トヨタの下請け。早番だと15時くらいに仕事が終わるんで、それからここに来てるんです」
すると、落合博満の表情がこれまた何度となく見覚えがあるニヤニヤ笑いに切り替わった。そのまま黙っているので、今度は僕のほうから吹っかけた。
「ところで三冠王3回、日本球界初の1億円プレーヤー、監督としては中日ドラゴンズを4度のリーグ優勝に導いた落合博満さんが、僕なんかに何の用ですか」
「さっきから見てたらあんまりヘッタクソだから」
僕はムッとした。
「もう1回振ってみ」
落合博満はスタジアムジャンパーのポケットに手を突っ込んだまま、アゴで僕に命令した。僕は不承不承、しかし緊張しながらバットを再び両手に握りしめると、左耳近くに構えた。左足で慎重に何度かタイミングを計る。そして息を止め、渾身の力で振り抜いた。
「お前それで打てるか?」落合博満は表情ひとつ変えず聞いた。
僕は屈辱を覚えながら答えた。
「結果が出るまで、少し時間はかかると思います」
「貸してみ」
そう言うと、落合博満はジャンパーのポケットから片手を出すなり僕からバットを奪った。まさか。僕は眼前で起きつつある事態を理解しかねて混乱した。

落合博満が僕に打撃指導?

そんな僕をよそに両足を心持ち開いて足場を決めた落合博満は、視線を落とし、左手に握ったバットを右足の前で振り子のように2、3回ブラブラさせる。その様子はまるで地面の上の見えないホームベースの位置を探り当てているかのようだ。それが済むと、おもむろに右手をグリップに添え右胸の前にバットを構えた。
「トップをつくるだろ? そしたらこう、そのまま降ろしてくればいいの」
そう言うや、禿頭の男がいかにもゆったりと振り降ろしたバットのヘッドは、その脱力感に反して鋭く加速し、一瞬ビュッと切り裂くような音を立てると、そのままフォロースルーの軌道へと鮮やかな円弧を描いた。

初めて目の当たりにした元三冠王のスイングに、思わず見とれたまま突っ立っている僕の方に向き直りながら、落合博満が言った。

「バットっていうのはね、すごく理にかなった形してるの。だけどほとんどの奴が使い方を間違えてるから、いくら一生懸命振っても打てないの」

僕と落合博満、二人だけの打撃塾はこのようにして始まったのだった。

つづく

 ※本作はフィクションであり、登場する人物・組織等は実在のものと一切関係がありません。

本格野球小説 Me And Mr.OCHIAI その3

Chapter3 タバコ屋主人の回想ーThe old man and Mr.NAGASHIMA

※前回はこちら

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「お前は明日の試合、第2打席でホームランを打つ」
唐突な"予言”を僕に言い残して落合博満が去ってしまった後、僕は1人で黙々とグラウンドにトンボをかけ、それを終えると家路についた。日が沈みかけていた。

途中、タバコ屋の前で足を止め、小さなガラス窓に向かって怒鳴った。
「セッター7ミリ」
ガラスの向こうで首をもたげ、死んでいるかのように見えた老人がビクリと顔を上げた。
「はいはい」
としゃがれ声で答えた老人は、難儀そうに体をよじり、背後の棚に手を伸ばす。たっぷり1分くらいかかってセブンスターの7ミリが出てきた。ガラス越しに千円札を受け取りながら老人が聞いた。
「今日も『野球』ですか?」
「ああ。『野球』だよ」
と僕は答えた。老人は満足げに微笑み、何度も頷いた。
「私はね、後楽園球場で長嶋の……長嶋の引退試合を見たんですよ。あれは私が三十五のときだった」
老人はまるで他の者に聞かれてはならない打ち明け話のような調子で話し始めた。3代続けて名古屋生まれの名古屋育ち、かつ筋金入りの長嶋茂雄ファンという過酷な運命を背負い長い人生を送ってきたこの老人は、中学まで東京で育った僕を密かな同志と見なしているらしいのだ。
「こう、長嶋がネクストサークルに立つでしょう。するともうスタンドが海鳴りみたいにどよめくんですな。異様な雰囲気っていうのはああいうのを言うんでしょうねえ」
1974年、すなわち昭和49年10月14日、後楽園球場で行われた長嶋茂雄引退試合の折、35歳のタバコ屋主人(当時は勤め人をしていた)は、運よく舞い込んだ親戚の結婚式だかなんだかという用事にかこつけ上京を果たしたのであった。しかも、その試合の対戦相手は他でもない、我らが中日ドラゴンズだった。こうして彼は「あくまでドラゴンズ戦の観戦」という免罪符まで手に入れ、長嶋現役最後の姿を見届けることに成功したのであった……という、これまで30回は聞かされたことのある老人の昔語りが始まったので、僕は釣り銭とセブンスターの箱を素早く受け取って失礼した。

アパートに着くと僕はテレビをつけ、衛星放送のナイター中継にチャンネルを合わせた。試合は序盤戦だった。

背番号をこちらに向け、マウンドに立っている先発投手は、高卒3年目の選手で今季の飛躍を期待する声が高かった。ワンアウト・ランナーなし。カウントノー・ワン。マウンド上の彼は、手にしていたロジンバックを静かに置くと、ワインド・アップの投球動作に入った。やや小さめな振りかぶりの動作から、左足をゆっくり持ち上げる。重心を徐々に後ろに移すと同時にボールを持った右腕をセンターへ、グローブをはめた左手を本塁に向かって広げ、彼は両翼を広げた鶴のような格好になる。次の瞬間、彼は上半身を一気に回転させるとともに、急激な重心移動を利用して右腕を鋭くしならせると、硬く皮の張った3本の指先から重さ約5オンスのボールをリリースした。

初速約146キロで放たれ、わずかに重力の影響を受けつつもほぼ一直線に飛翔する硬球を、18.44メートル先の左バッターボックスで待ち構えた打者は強振で捉えた。バットのやや根元付近に、打者の狙いより0.05秒ほど早く衝突したボールは鈍い衝突音を立てると、緩やかな放物線を描き、右翼内野席に吸い込まれた。

「これはファウル」実況アナウンサーが短く叫ぶ。

「今日の■■投手、ご覧になっていかがでしょうか」アナウンサーが解説者に振った。
「ええ、腕が振り切れてますしね、それでストレートが走ってますから。前回の登板の時よりか、いいんじゃないですか」

ーーふん、まったくこれで解説者が務まるんだからいい商売だな、と僕は思う。それくらい僕だって、たとえ試合を見なくたって適当にでっちあげられると思う。カウントはワン・エンド・ワン。次はこの投手が得意とする、ストライクゾーンからボールに逃げるシュートだろう。
「振りかぶって、第3球」実況アナウンサーが短く叫ぶ。
若き右腕が放ったボールは、僕の予想通りストライクの軌道でホームベースに向かっていった。しかしそこから外に……曲がらなかった。失投だ。時速140キロ強のは、しかしそれ以上の何物でもない、つまり棒球だった。
「打球は高く上がったーっ!……いや、しかしこれは伸びません」
僕は思わずずっこけた。
「いやあ、投手は助かりましたね」と実況アナウンサー。
「危ない球でしたけどね、打ち損じですね」と解説者。
絶好球を打ち損ねた打者は、さも難しい勝負であったといった風に顔をしかめてオーロラビジョンに映し出されるリプレイを見届けると、首を捻りながらベンチに戻っていった。ーー明日は試合だというのに、まったく嫌なものを見てしまった。僕はリモコンを手に取りテレビを消した。そう、明日は試合なのだ。さっさと夕食を済ませ早く寝なくては。

つづく

 ※本作はフィクションであり、登場する人物・組織等は実在のものと一切関係がありません。

【雑記】2021年10月26日

・このところ、昔読んだ本をパラパラ拾い読みすることが多い。いや、せいぜい30ちょい過ぎの者が「昔」とか何いってんだなんだけど、それはさておき。

・たとえば「カラマーゾフの兄弟」とか。これは高校3年くらいのとき「おれっちもそろそろカラマーゾフくらいよんでおくか」という、背伸び丸出しの意識で読んだのが初めてで、その後も20代の間に何回か拾い読みしてはいる。

・で、今になって改めて読むと、たとえば最初の方で書かれる「フョードルのおっさん修道院で大暴れ」の一幕とか、その後に続くアリョーシャの心理描写とか、そういうのがこれまでになく「確かになんか面白い!」という感覚があるのだけれど、はてさて、19とか20でこの小説を読んで何かしら実感を得られた人って、そういるのだろうか?

・というのは、20歳の人間より30歳の人間が賢いという意味では決してないが、やはりこの小説の面白さって、自意識の拡大と挫折(と書くとなんかすごそうだが、要するに”思い出すとイタタってなる”類の思い出のことだ)とか、あるいは人間関係のいろいろなバリエーションとか、さらに個人を超えた社会レベルの問いまで、すごく豊かに詰め込まれてるからなんだろうと。いや、ちょっと「地下室の手記」の感想が混じってるところあるけど。

・……なので20前後、またはもっと若い年齢でこの小説を読んで面白かったとか、あるいは、自分にとって何かしら切実な問題として読めた人っていうのは、一体どんな人なんだろうなと。僕なんかより数倍、経験の濃度が高い10代を送ってきたのだろうか……いや俺がガキなだけか、とかそんなことを考えた。

本格野球小説 Me And Mr.OCHIAI その2

Chapter2 センチメンタル・ヒロミツ

 落合博満は自宅に帰ると、スタジアムジャンパーを脱ぎ、セーターを脱ぎ、ズボンのベルトを緩めてそれも脱ぎ捨て、ステテコと肌着のシャツだけになって、広いリビングの真ん中に据えられた革張りのソファに腰を下ろした。

「あらお父ちゃん、おかえんなさい」妻の信子がキッチンから出てきた。

「ただいま」

「今日も『野球』?」信子がこちらに来ながら聞いた。

「そう、『野球』だよ」

信子は屈み込むと、博満が脱いだ洋服を手際よく回収し、またリビングを出ていった。そして部屋着を抱えて戻ってくると、ソファに沈み込んでいる博満に手渡した。

「ありがとう」

リビングの一丁目に鎮座している77型プラズマ液晶テレビーー「ヤマダ電機LAVI名古屋店」で信子が「この店で一番大きなテレビをちょうだい!」と言って買ってきたーーは、衛星放送のナイター中継を映し出していた。試合は序盤戦だった。

背番号をこちらに向け、マウンドに立っている先発投手は、高卒3年目の選手で今季の飛躍を期待する声が高かった。ワンアウト・ランナーなし。カウントノー・ワン。マウンド上の彼は、手にしていたロジンバックを静かに置くと、ワインド・アップの投球動作に入った。やや小さめな振りかぶりの動作から、左足をゆっくり持ち上げる。重心を徐々に後ろに移すと同時にボールを持った右腕をセンターへ、グローブをはめた左手を本塁に向かって広げ、彼は両翼を広げた鶴のような格好になる。次の瞬間、彼は上半身を一気に回転させるとともに、急激な重心移動を利用して右腕を鋭くしならせると、硬く皮の張った3本の指先から重さ約5オンスのボールをリリースした。

初速約146キロで放たれ、わずかに重力の影響を受けつつもほぼ一直線に飛翔する硬球を、18.44メートル先の左バッターボックスで待ち構えた打者は強振で捉えた。彼の握るバットのやや根元付近に、彼の予測よりわずかに0.05秒ほど早く衝突したボールは、鈍い打撃音の波紋をグラウンドに残して緩やかな放物線を描き、右翼内野席に吸い込まれた。

「これはファウルボール」実況アナウンサーが短く叫ぶ。

やれやれーー博満は、画面から目を離して首を振った。まったくひどい打ち方だ。トップの位置が浅さすぎるために、その後の動作すべてがワンテンポ早くなり、インパクトの瞬間には、彼の上体はまるで無防備な形で投手に向かって開ききっていた。おまけに踏み込んだ右足はまるで棒のように伸びきって硬い。

 「今日の◾️◾️投手ご覧になっていかがでしょうか」アナウンサーが解説者に振った。

「ええ、腕が振り切れてますしね、それでストレートが走ってますから。前回の登板の時よりか、いいんじゃないですか」

ーーふん。これで解説が務まるんだからいい加減なもんだーー博満は思う。確かに腕は振れている。最近の投手にしては、下半身もそれなりに使えている。しかし決定的な問題は、彼の右手首・肘・肩それぞれの高さだ。投げる本人は意外なほどに気がつかないものだが、この3点の相対位置が不適切ならば、投手の肘、肩には何倍もの負担がかかることになる。

「この投げ方じゃ2年で壊れるよ」博満は誰に言うとでもなくつぶやいた。

最近では誰もそういうことを教えないのだろうか。

マウンドの使い方だって実に危なっかしい。あれはただ高いところからボールを放るための丘ではない。これでは彼は膝も壊してしまうだろう。

最近では誰もそういうことを教えないのだろうか。

 

昔は違った。

 

1979年、25歳の博満がロッテオリオンズに入団し、中日に移籍するまでの8年間、それは野球がまだ手で触れることのできるような実体として存在する時代だったーーわかりやすく言えば、王、長嶋、張本、野村……そのような先達が残していった「野球」の香りがまだ球場のグラウンドに、ベンチに、ロッカールームにーーそして内野スタンド裏の便所にさえーー薄く漂っていたのだ。あの頃幾度となく対戦した西武の東尾修ーーあれにはしょっちゅうぶつけられたがーー、彼のマウンドの扱いは実に見事だった。それから阪急の山田久志、チームメイトであり大先輩の村田兆治……。皆マウンドというものを熟知していた。そして壊れない投手だった。そんな彼らは、皆しつこいほど時間をかけてマウンドの土をならしていたものだった。

それは打者である博満も同じだった。現役時代の博満は、打席に入るといつも同じ準備を行った。まず真っ先にやるのは、バッターボックスを示す、石灰で引かれた長方形の白線の端をスパイクでかき消すことだ。

博満は、バッターボックスとホームベースの置かれた直径26フィートの円形の中で、自分がどこに立つのかを極めて厳密に決め、細心の注意を払って実行した。それが狂えば、後に起こる事のすべてが狂ってしまうのだ。

そして博満は、白線を引くグラウンド係を絶対に信用しなかった。信じるのは、長年かけて自らの大脳後頭葉・視覚連合野に焼き付けてきた、各球場のバックスクリーン、そして投手が立つマウンドのピッチャープレートと自らの間の距離感覚だった。本拠地の川崎球場近鉄藤井寺球場西武球場、阪急西宮スタジアム大阪球場……そして後楽園球場。どの球場のそれも、博満は寝床の中で目をつぶってさえはっきりとイメージできた。その精密な感覚を狂わせかねない目障りな線ーーどれくらいの正確さで引かれたかもわからぬ線ーーは、さっさと消してしまうのだ。

ここからが本番だ。博満はバックスクリーンを見つめながら、脳裏のイメージと、網膜から送られる画像がぴったり重なる位置を探る。長辺約183センチのバッターボックス、その最後部のある一点が彼の定位置なのだ。そして、ここという場所を探り当てると、博満は投手達がマウンドでそうするのと全く同じように、その地面の土をスパイクでならしはじめる。彼の前を打った打者がつけた穴を綺麗に埋め、もう一度足場を築かなくてはならないのだ。前打者が下手な選手であればあるほど、掘り返された穴は不細工で、元に戻すのに骨が折れた。だから博満は、アンパイアが何度注意しようが、年上の捕手が大きな舌打ちをしようが構わず、熱心に打席の土を掘り、埋め、そして固め続けた。それこそが「野球」であり、また「野球」の世界で生き残るために欠かさざる営みなのだ。引退後にーー滅多にないことだがーー気まぐれで自宅のキッチンに立ったとき、どうしても気になり、スリッパで足元のフローリングを何度もこすったときには、さすがの信子も呆れていた。

 

……

回想の世界から博満が我に帰ると、77インチの液晶画面が映し出すゲームは、すでにイニングが代わっていた。イニングが代わっても、行われている事は変わり映えしなかった。まるで棒きれでも扱うようにバットが振られ、石つぶてのように生気を失ったボールが飛んだ。選手達は無邪気にそれを追い、走り回っていた。解説者はそんなものにしきりに理屈をつけては褒め、あるいは注文をつけていた。

博満はそれを聞きながら思った。ーーいよいよ「野球」の話ができる人間はあまり残っていない。博満は中日ドラゴンズでプレーしていたころ、同僚の愛甲猛宇野勝と、夜中まで打撃や野球について語り明かしたものだったーーそう宇野、あいつの遊撃守備は一級品だった。一塁を守っていた博満は、彼の送球を何回受けたかわからないほどだが、後にも先にも、あいつ以上に上品な球を送ってくる野手はいなかった。奴は俺より少し若かったが「野球」を知っていたな。

 

それが一体、どうしてこうなってしまったのだろう。

 

つづく

 ※本作はフィクションであり、登場する人物・組織等は実在のものと一切関係がありません。

第1章はこちら 

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参考文献(うろ覚え)

落合博満落合博満の超野球学 バッティングの理屈」ベースボール・マガジン社

落合信子「悪妻だから夫はのびる 男を奮い立たせる法」カッパ・ホームス

本格野球小説 Me And Mr.OCHIAI その1

Chapter1 トリプルクラウンの予言

 

「手が先だって言ってんの。そもそも手が出なきゃ、バットが球に当たるわけないだろ。手が出りゃ腰はあとから付いて来んだよ」落合博満は、その日23回目のまったく同じセリフを僕に発した。「お前のはこうじゃん」

トレードマークの長いノックバットを使い、僕のフォームを正確に、かつ滑稽に再現しながら、落合は言った。

 

「すみません、僕って手より先に口が出るタイプでして」僕は、バットを置いてそう言い訳した。疲労と退屈と不満が僕を支配し、子供の頃からの癖そのままに口が勝手に動き始めた。「いえ、まあ、その、それは冗談としてですね、やっぱり手が先なんて無理ですよ。僕は昔から体のカベを作れ、手は最後だーーこう言われてきたんです。小学校の亀戸ファイターズの頃から、そう言われてきたんです。だから、どうしたってまず腰が回って、肩、最後に手ですよ。さもなきゃ上体が前に突っ込んじゃいます」ここまで一気に喋り、僕は息をついた。

「はあ」落合はいつもの通り、地面方向右60度の角度に向かって、諦めたような、呆れたようなため息を吐いた。「いいか、1回しか言わないからよく聞け」そう言うと落合は、頭を上げ、まっすぐ僕を見据えてこう続けた。

「お前は明日の試合、第2打席でホームランを打つ。カウント2エンド1からの4球目。球種はチェンジアップ。外角高めのストライクゾーンに甘く入る。お前はそれをスイングする。右方向に流した打球が、浜風に乗ってライトスタンドの前席に入る」
「はい?」
「覚えただろ。じゃあもう今日はいいよ。風呂入って寝ろ」

 

それだけ言い残すと、落合はトレードマークの長いノックバットを手に下げ、練習場の金網の出口へと歩いていった。そのスタジアムジャンパーの背中に描かれた竜が、遠ざかりながら僕をせせら笑うように見ていた。

 

つづく