【日記】冷え性、セーラー服と機関銃、古谷利裕さんの「偽日記」

土曜日。昨日もそうだったが、ひどく冷え込んでいる。冷え性なので、足の先が冷えて仕方ない。

 

午前中から、DMMの動画配信で相米慎二セーラー服と機関銃」をみる。ヤクザの若頭役の渡瀬恒彦がとてもかっこいい。薬師丸ひろ子の演技はちょっとまだまだ……というレベルなこともあって、渡瀬恒彦の演技の「プロ」感が際立つ。

 

相米慎二の映画は、これまで「ションベン・ライダー」「台風クラブ」を観ている。これは完全に古谷利裕さんの影響で、今日も映画を観終わったあと、かなりひさしぶりに古谷さんの「偽日記」を読んだ。

 

大学時代、それから卒業後ぶらぶらしていた時期の僕は「偽日記」にかなりはまっていた。

 

ところで、はてなブログで読める「偽日記」の一番古いのは1999年だ。これってすごいことだと僕は思う。まだダイヤルアップでネットに接続し、電話代がかかるので、見たいページをローカルにダウンロードしたらすぐに回線を切る、とかやってた時代だ。

 

僕は結構、そのころの「偽日記」が好きでアパートの近所を自転車で散歩したとか、昼から風呂に入ったとか、MDプレーヤーで椎名林檎を聴いたとか、そういう本当に「日記」的な記述をついつい読んでしまう。

「人生」について

人生は難しい。先は読めず、使える時間も与えられた能力も限られている中で、各々が自らをマネジメントしていかなければならない。もちろん、そこには妥協とかも当然必要になってくる。


……という考え方が、そもそも「人生」に毒されすぎなのだ。我々はあまりにも「人生」という思考を自明のもとして考えすぎている。ネットも書店も「人生」の枠組みの中に人間をガチガチに縛り付けるような情報が氾濫している。


ところで、山崎ナオコーラさんの「反人生」という本がある。読んでいないのだけど、タイトルはラディカルだと思う。


猫には人間でいうところの人生という概念はないだろう。そうすると、猫にとっての時間の経ち方ってどんなものなんだろう、とたまに思う。たぶん保坂和志はこんなことばかり考えている。


経営哲学とか人生哲学という言葉の「哲学」は、およそ哲学からはかけ離れていて、そういう言葉を使ってる人ももちろんそんなことはわかっているはず(と思いたいが……)なのだが、もし、「人生」や「経営」の外部へ外部へ、と思考していく、いわば「人生批判」のような形であれば、それは少しは哲学たりえるかもしれない、いや、やっぱりそんなこともないかもしれない。

プログラミング教育と、プログラミングのセンスについて思うこと

さて、来年度(2020年度)から小学校でプログラミング教育が始まるわけだけど、経験者の方はよくおわかりのように、プログラミング学習というのは、素養がある人とそうでない人では数倍とか下手するともっと差が出るものだ。残念ながら僕は明らかに後者だったから余計わかる。大学でちょっと教わった時は、もうif文でわかんなくなった(今考えると信じがたいが)。


開発会社に入社後のJava研修でも、for文が入れ子になると、もうお手上げ。ちなみにループのカウントは指を折って数えてた。オブジェクト指向っていうのも、僕の思考システムとは相容れず、業を煮やした指導担当の先輩は、1クラスのメインループの中に全部の処理を書かせた(笑)


何が言いたいかというと、プログラミング教育が始まれば、クラスの中は必ずできる子とできない子に二分される。既存教科でも同じだけど、できない子はたぶんプログラミングが嫌いになる。つまりプログラミング教育は、プログラミングができる子と同時に、大量のプログラミング嫌いを生み出すということ。


これまでプログラミングってのは、基本的には興味ある人が勉強してたはずで「プログラミング嫌い」って人は、転職で挑戦してみたけどやっぱり向いてなかった人とかで、そんなに顕在化してなかった。しかしこれからは違う。かなりのボリュームとして「嫌い・苦手」っていう層が顕在化する。これはある種の不幸だろう。


ところで、このようなツイートを目にした。


エンジニアにセンスは存在するのか、という問い。僕は存在すると思う。しかしその「センス」を何と言えば良いのか、僕はずっと悩んでいる。この福井さんがおっしゃっている「論理的思考力」にしても、僕は哲学だとか好きだったし、文章の論理構造を掴むのは自信あったからいけるのでは? と思ってプログラミング始めたんだけど、あまりうまくいかなかった。


その哲学にしても、ラッセルの入門書を読んだときに、集合論なんかが出てきたとき、僕は何回読み直しても、紙に書き出してもわからなくて「俺アタマ悪…」ってショックを受けた。これは哲学っていうか論理学の部分だ。だからやっぱり僕は「論理的思考力」、弱いのかも。


しかしである、じゃあ僕が少しは得意な「文章の論理構造の把握」の際に使っている能力はなんなのか。これだって例えば、接続詞の順接・逆説・並列とかを把握しているわけで、それって「論理」に他ならないはず。


就活のときにやらされるSPIってのには、言語と非言語ってのがある。もちろん僕は非言語ボロボロ。言語は時間はかかるけどまあわかる。だけどどっちも論理の問題のはず。「論理的思考」も、言語と非言語領域では使う脳の部分が違うのだろうか。


思うところある方いらっしゃれば、コメントおねがいいたします。

文章を書くということ

なにはともあれ続けること、そしてできるだけたくさん更新するというのがブログの鉄則らしく、実際このブログはそれを守らないため、ほとんど人が来ない、超がつく過疎ブログである。


秘境駅ならぬ秘境ブログ。


というわけで、なにを思いついたというわけではないが、とにかく何か書いてみようと思い、いまパソコンの前に向かっている。こんなものを読まされる側はたまったものではない。こんどは秘境ブログならぬ卑怯ブログとかいわれたりして。


文字だけでは味気ないと思うので、せめて最近撮った野良猫の写真も貼っておく。


唐突だが、外山恒一全共闘以降」(イースト・プレス)のあとがきで外山が言うところによれば、600ページ近い同書も、外山が書きためていた、本来の”オリジナル版”からは相当圧縮したもので、”オリジナル”で原稿用紙1300枚分に相当する部分も360枚分まで削ってあるそうだ。


これはすごい。外山恒一のような人が、普段どんな生活を送っているのか想像するのは難しいが、おそらく一度スイッチが入ると過集中的に書きまくるタイプであるのと同時に、毎日コンスタントに原稿に向かう、割と規則正しい生活なのだろうとも想像する。


ところで、うろ覚えだけど、東浩紀が「Twitterで短文をどれだけ書いても、まともな長文はいつまでたっても書けるようにはならない」みたいなことを言っていた(完全なうろ覚えなのであしからず)。これは確かにそうだろうと思う。


あと、これまたうろ覚えで恐縮なのだが、ジョン・レノンが「なにか気の利いたことを思いついたら紙に書いてポケットに突っ込んでおく。ポケットがいっぱいになる頃には本が一冊できるってわけさ」みたいなことを言っていた気がする。


Twitterなんかはまさにこの「思いついたら紙にメモしてポケット」をテクノロジーで具現化したようなものだけど、ツイート数が4桁になってる人でも、それが本になった人はほとんどいないだろう。ごく少数の例外はあると思うけど。


最後に、僕が作った、うみちゃんというキャラクターを紹介する。

うみちゃんはいろんな形態をもつ。というより、大まかなイメージとしてのうみちゃんというものがあり、実際に現れる形態はその時々によって様々だ。それがうみちゃんなのだ。

天重誠二さんの感想文「荒川修作やばい」の感想文

この文章は天重誠二さん@tenjuu99(https://twitter.com/tenjuu99)がnoteに書いた、
埼玉県立美術館「インポッシブル・アーキテクチャー-もうひとつの建築史-」展の感想文を読んだ感想文だ。
なので、まずは天重さんの文章を読んでほしい。

荒川修作やばい」https://note.mu/tenjuu99/n/n5f4deb204285

なお、重要なことだが、僕自身はこの残念ながらこの展示を観れていない(残念だ)。以下はあくまで天重さんの感想文についての感想、として読んでいただきたい。

なぜ僕がこんな文章を書いたかというと、天重さんが特に荒川修作の作品について書いていたからで、僕も以前から荒川修作という人については、よくわからないし、うさんくさいところもあると思いながら、どうしても興味をもってしまう、なによりその発言の端々から読み取れる、凡百の現代芸術家などは遠く及ばない、「革命的」ともいうべき思想の過激さと根源性に惹かれてきた。このたび天重さんが「荒川修作やばい」と書いていたので、「そうですよね」という感じで反応してしまったという次第だ。

本題である「感想文の感想」に入りたい。
さて、これは結構ややこしい…と思った。まずアフォーダンスという言葉に「本来の意味」と、後にデザイン領域で使われるようになった用法の2つがあるというところからややこしい。
(これについて、いそいそとググった結果を要約しようと思ったけど気力が尽きたので各自調べてください)
建畠晢さんの文章は引用部分の「動作を誘発する装置」だけから察するに、後者を意味している、ということでいいのだろうか。

で、(これは僕がアフォーダンスという概念について無知だからだと思うけど)建畠さんは「アフォーダンス=動作を誘発する」と定義した上で、エピナールの橋を「要請された行為の必然性に従うという拘束的な空間の体験をもたらす」もの、と対置しているのだが、僕にはこの両者の違いがいまいちピンとこない。

誘発と拘束という強度の違いということなのだろうか?確かに取っ手の付いたドアは、取っ手を手で引くか押すかして開けることを「誘発」するけど、拘束するとまでは言えない。べつに体をぶつけて開けたっていいわけだ。ところがこの橋ではそういうわけにはいかなそうだ。頭上の巨大な球を持ち上げることはできないだろうし、その上を登っていくのは危険すぎる。

ただ、それでも僕が違いがピンと来ない、というのは日常的な生活のレベルにおいて、僕らは都市空間の様々なモノの発する「アフォーダンス」によって充分「拘束されている」といえるのではないか、と思うからだ。

実際に、天重さんはこの美術館(黒川紀章の設計による「ホスピタリティのかけらもない美術館」)で疲れて座りたくなったにも関わらず、どこにも座る場所がなくて困ってしまった。そこで天重さんは、
「どうしてそこらへんに座ってしまわないのだろう?環境が「座る」というサインを出してくれなければ座ることすらできないほど、規制を内面化している」
と気づいた。規制の内面化。これはもはや拘束と言っていいのものではないだろうか。違いは物質的(物理的)な拘束か、社会的な拘束か、というところか。(社会化されていない子供や動物はこの手のアフォーダンスを無視したやり方でばかり道具や建物を使用する)

ともあれ、天重さんが問題にしている、
「「エピナールの橋がアフォーダンス的に動作を誘発する装置ではなく、要請された行為の必然性に従うという拘束的な空間の体験をもたらすもの」って、逆じゃないの?」というところについて考えてみたい。
天重さんが「逆」だと言っているのは、この橋は、建畠さんのいうような「要請された行為の必然性に(身体を)従わせる拘束的なもの」ではなくむしろ、
「橋として渡りたきゃお前の体の使いようでいくらでも橋としてのアフォーダンスを見出だしてみろ」という作品ではないか、ということだと思う。美術館に椅子がなければ、良い感じに窪んだ壁をみつけて、身体を埋めるように床に座り込んだっていい、いや、もっと違うやり方もあるかもしれない、というように。

正直、建畠さんの解釈の元になっている、荒川+ギンズの制作ノートの文章は日本語レベルで意味がわからなすぎて、また僕が実際に作品を見れていないこともあって、どちらの解釈が妥当なのかは判断が難しい。
ただ、ひとついえば荒川という人は「体の使いようでアフォーダンスを見出す」という次元よりもヤバイことを考えているように思えるのだ。例えば、岐阜にある養老天命反転地では開館当初骨折する人も続出したという。これではアフォーダンスどころではない。

荒川修作は、人間は「死なない」と言った人である。

これは裏返しに、「普通の人間」(荒川曰く、「徹底的に間違った生き方をしている」人間)としては、1度死ねば?(もしくは死にかけれてみれば?)と言っているように思えなくもない。(この橋にしたって、僕は図版を見た限りでも、単に渡りにくそう、というより、下手したら自分はここで死んでしまうんじゃないか、とような恐怖感を覚える)
荒川はまた、「建築する身体」といったように、「身体」という言葉を使う。「身体」という言葉を使った語りは現代美術ではけっこうおなじみのものである。
しかし荒川による身体への働きかけは、ある種の現代美術(をめぐるの言説)にみられる、「隠蔽されてきた我々の"身体"の存在を露出させる、再認識させる」というような(ここまで陳腐ではないにしても)、ーー言ってしまえば美術史の文脈上で優位を取り合う知的ゲームのような言説、とは全く異なる次元を志向していると思われる。

むしろ、荒川のいう身体、荒川の思想は、身体や知覚への直接的な、時には死や発狂の直前にまで迫る働きかけによって人間を再構築しようとするような、「カルト」思想のそれにすら接近しかねないもなのではないか(現にちょっと検索してみるとその様な近似性を指摘する記事はいくつか出てくる)(古谷利裕氏による以下の文章も参考に。http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/arakawa.html)。

天重さんのいうように「荒川修作やばい」、のだ。

余談ぽいことを書くと、僕は一度、三鷹の天命反転住宅を見学したことがある(見学プログラムは随時組まれていて、参加費が2千何百円かかかる)。色々雑多な感想は浮かんだのだか、その1つとして「これ、要は健康アスレチックセンターみたいなものとどれほど違うのか」というのがあった。床が足裏を刺激するような凸凹したものだったり、天井の傾き加減なんかで水平の感覚を失うような構造になっているのだけど。うーん、天命が反転するかな。という笑。ここに住んでから風邪をひかない、みたいな話も聞いたような気がするのだが(それはそれでもちろん素晴らしいことだ)、正直、これは荒川の思想がずいぶん微温化されてしまっているのではないかな、とも思ったのだった。

2019年2月28日

2月が終わった。僕は仕事を終えて、湘南新宿ラインの電車に乗っている。大崎、恵比寿、渋谷。夕方の車内は混んでいて、なんだ、意外とみんな定時で帰ってるんじゃないか、と思う。

この頃では日がだいぶ延びて、17:30頃でもまだ薄明るいくらいになったが、今日は朝から雨が降りどおしのために、外はもう暗いうえ、車窓は結露で曇っているので、外にはビルの窓の青白い光や、赤いブレーキランプの光が次々通りすぎていくのがぼんやり滲んで見えるだけだ。

2月が終わると、3月になる。当たり前のことだ。3月になると、風は明らかに春っぽい風になる。春っぽい風は、例え冷たくとも吹き方が違うとも思うし、冷たさも冬風の貫くような寒さとは違うと思う。

10年前、芸大の実技試験の最終日を終えた僕は、疲れと解放感の両方を感じながら、画材を積めたキャリーカートを引いて上野公園をぶらぶらしていた。それまで上野公園をしっかりぶらぶらしたことはなかった。たしか午後の3時頃で、公園はあまり人気もなかった。すれ違う人もほとんどいないままゴロゴロとキャリーカートを引いて歩いていると、まだ葉もなく、色彩に欠けた木立の中に、野口英世のブロンズ像が立っている。僕はガラケーのカメラで野口英世の姿を写真に収めた。

というわけで、僕は2月も終わりに差し掛かるころになるたび、上野公園と野口英世像のことを思い出すことになる。受験生としての生活は、前の年の夏からずっと続いていたはずなのに、何故か思い出すのは冬の間ずっと続いた差すような寒さと、人気のない上野公園で味わった寒さ混じりの生暖かさばかりだ。

新宿で湘南新宿ラインの電車を降りると、バスタ新宿側の出口から出る。甲州街道を挟んで向こう側のルミネの、さらに向こうに見えるコクーンタワーの先っぽは雨に煙っている。僕はコートのポケットからスマホを出して、それを撮る。画面の中を目の前を通りすぎる人が横切っていく。交差点には吹き寄せられたように、あるいは窪みに水がたまるように、傘を指した人たちがたまっている。交差点の手前で止まったタクシーの前で、男女が話している。女が何かを聞くと、男が、

「俺が手挙げてたの。俺が乗るの」

と言う。女はなにか言い返している。タクシーのドアが開き、若い女がまったく無関係といった態度で降りてきた。男と話していた女は、諦めたように交差点の人混みの中に歩き去っていった。僕には状況がよくわからない。とにかく、若い女と入れ代わりに男が車に乗り込んだ。僕は事情を推測するのを諦めて、交差点の人混みの中に入っていく。傘を持っていない僕は、何人もの肩の間をすり抜けて、最前列に進んだ。弱い雨が落ちる車道を、車がヘッドライトをぎらぎら光らせて走り去っていく。

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夢で三島由紀夫さんに会った話

けさ見た夢。

 

僕は高校らしき学校の教室に立てこもっている。やがて警察が踏み込んでくる。僕は撃たれるのはごめんだ、と思い「投降するから撃たないでくれ」といいながら教室のドアを開け、すぐに両手を開いて上に挙げる。


教室の外の廊下に来ている警察官たち、その一番先頭に立っているのは刑事の佐野史郎だ。彼らは僕が凶器を持っていないか、ボディーチェックをするという。
僕は、他の奴には俺の体に指一本触らせたかないが、佐野さんだったらいい、と言った。警察は僕をそれなりに尊重してくれるつもりらしく、要求通り、佐野史郎が前に進み、僕の身体を両手でチェックしていく。

「ここにも何もない、ここにもない」

ときちんと声に出しながら、黒いロングコートを着た佐野史郎は上半身から、ズボンのポケットあたりへと手際よく順番に手を当てていく。

 

ここで場面が途切れ、僕は早くも釈放されたのか、学校の中を歩いている。途中、猫の三島由紀夫とすれちがい、「君、無闇にああいうことをやると、余計学校側の監視やら規制やらが厳しくなるだけだ」と咎められる。
僕は、「やっぱり三島さんの言うことは違うなあ」と感心する一方、スタンドプレーに走ってしまった自分が気恥ずかしくなってくる。

 

下駄箱のところで靴を脱ぎながら友達に、恥ずかしいのを隠そうとして、「やるなら18歳のときにやるべきだった、今さら、29でやってもなあ」となどと話す。

友達も「そうだよ、18のときだったらわかるけどさあ」と言う。高校の教室に立てこもってたけど、僕はやっぱり29だったわけだ。

 

起きてから、立てこもりという繋がりで、三島由紀夫さんが唐突に出てきたのだろうけど、何故か猫になっていたのがおもしろかったな、と思った。あと、そういう三島さんが市ヶ谷でやったことだって、かなりなスタンドプレーだったんじゃないですか笑、とも思った。