渋谷駅東口の再開発について

渋谷の駅がすごい事になっている。 特に東口は2012年にヒカリエがオープン、2013年あたりに東横線の地上駅を潰して地下に移したのを皮切りに、 猛烈な勢いでスクラップアンドビルドが敢行され、山手線の改札から東口の外へと徒歩で脱出するルートは、工事用の仮設壁と迂回路によって狂ったような状態になっている。 先日は半年か1年ぶりくらいに様子をみにいったら、いつのまにか見知らぬガラス張りの高層ビルが立ち上がっていた。なんでもGoogleの日本法人が入居するとか。 そして首都高速3号渋谷線の高架を挟んで向こう側には、おなじような高層ビルが成長真っ最中であった。数年前にできたヒカリエのビルがもう小さくみえる。 再開発前の東口はなんといっても、クラム(二枚貝)型の意匠が連なる東横線高架駅の外壁と、それに合わせた屋根のアーチが一番印象的であった。

写真は在りし日の東横線高架駅の外観と駅前バスロータリー。2011年撮影。 渋谷駅東口_02.JPG 渋谷駅東口_01.JPG 渋谷駅東口_03.JPG

これは地上2階の高さだったため、東急プラザや東急東横店がそびえる(といっても東急東横店は9階建てでくらいでしかないのだが)反対側の西口よりも、 縦方向のスケールが低く抑えられている印象だった。(ちなみに残念ながら私は東急文化会館ありし日の風景を知らない)(周辺には高層の渋谷クロスタワーがあるが、 駅前広場からは少し距離がある) そして東横線の高架駅は、阪急電車の梅田駅には規模では及ばないが、建築も含めた美しさでは決して劣らない、東京では珍しい頭端式の櫛形ホームだったのである。 R0013311.JPG

三角形が組み合わされた天井の意匠も美しい。 R0013312.JPG もはや今あの場に立って、かつての東口のスケール感を思い出すことは不可能に近い。 で、今あるのはヒューマンスケールを無視した、ほとんど暴力的な風景である。 交差点をまたぐ歩道橋の上にたつと「めまいがするようだ」とか「空が狭くなったな」とかいった陳腐な感想を抱かざるを得ない。 決して低層の建築やヒューマンスケールで捉えられる都市プランが絶対良いといいたいわけではない。 しかしあの六本木ヒルズですら、高層棟と低層棟の混ぜ方や、建物自体のデザイン、地形の使い方などにはかなり凝った工夫と腐心が感じられるのではないか。 それに比して、渋谷の再開発計画は、完成予想図を見ても四角いガラスビルをポンポン並べただけに見え、あまりに雑ではないか、と思う。 この渋谷の再開発もまた、東京オリンピックに付随した再開発ラッシュの一環ということだ。いうまでもなく私は東京オリンピック開催自体反対だが、 どうせやるなら国立競技場はやっぱりザハ・ハディドの原案でやって欲しかった、と今の渋谷の風景を見て改めて思う。 もちろん採算はめちゃくちゃだろうが、暴力的にやるならあれくらい徹底的にやってしまえと思う。 ちなみに、旧東横線駅舎のクラム型の壁面は、その跡地に立った渋谷ストリーム(上述のGoogleが入るビル)の敷地に、歩行スペースの外壁としてほんの一部が再現されている。 外壁だけだろうと思って、中に入ってみると、床にはレールが埋め込まれていて、さらになんか白い数字が書かれているのはかつてのホームの番線を意味しているらしい。 (参考記事:https://www.shibukei.com/headline/13430/) これ、ビル改築のファサード保存(ウィキペディアファサード」の項参照)とか三菱一号館のレプリカ再建と同じだな、と。

在りし日の「クラム」の隙間から、外のロータリーを見下ろす。 R0013308.JPG しかしそこに立って見ても、どうせぶっ壊すなら跡形もなくしてしまったらよかったのに、とすれっからしな気分になってしまうのだった...。

ドラえもんの「夢」と尾辻克彦(赤瀬川原平)「父が消えた」と

僕はドラえもんという作品が好きだ。

そしてドラえもんは夢のある作品だ、と皆が言う。

この「夢」についてだが、「どこでもドア」や「タイムマシン」といった到底実現不可能な道具には、わかりやすい「夢」はある、かもしれない。

しかし、僕がよりグッと心を掴まれるのは、作中でしばしば描かれる「家の屋根の上で寝そべる」だとか「学校の裏山」とか、あるいは「空き地の土管の上で談笑する」といった、

「いかにもできそうなんだけど、できない」類のアクティビティの描写である。

付け加えるなら、「押入れで眠る」というのも実現のハードルはだいぶ低いけど、子供にとっては夢みるような「アクティビティ」であることに異論はないだろう。

こうした「屋根の上で寝る」レベルの夢と、「どこでもドア」レベルの夢が共鳴するからこそ、ドラえもんは凡百の「夢のある」作品を超えた豊かな世界観を作り得ているのだと僕は信じる。

話は少々迂回するが、尾辻克彦赤瀬川源平)は小説「父が消えた」でこう書いている。

「いや、旅行というのはただ動けばいいんだなとおもって」

「動く」

「動くといってもね、いつもと反対側に動く。いつもと反対に動けば旅行ができる」

「うわ、それ、教訓みたいですね」

「うーん、教訓というか、でもこれ、やっぱり意外と教訓だよ」

「反対運動ですね」

「そうだ、反対運動だねこれは。反対運動は旅行だね。たとえばね、えーと、たとえばね、自分の家の便所に行くのにね、廊下を行かずに天井裏をはって行く」

〜中略〜

「そうするとあれですね、自分の寝室に窓から侵入して眠ると寝台車」

「あ、いいねえ寝台車」

「いまはやりのブルートレイン

「そうだよ、自宅で出来るブルートレイン

これは「私」が八王子の墓地に父の墓を下見するため中央線に乗った際、電車が日頃乗る東京行きとは反対向きに動きだしたことが愉しくなり、さらに

「そもそも旅行の楽しさというものは、乗り物が動くということではなかろうか」と思い当たって、同行の「馬場くん」に話しかける場面である。

この一節には単に文学的な味わいといったもの以上に、赤瀬川(尾辻)の元々持っているラディカルな思想の原理のようなものが閃いていると思う。(註)

ともあれ、家の屋根で寝そべる、押入れで眠るというのも、上引用の「自分の家の便所に行くのに、廊下を行かずに天井裏をはって行く」「自分の寝室に窓から侵入して眠る」

のと似たような、「自宅でできる旅行」であり、それは「反対運動」でもあるのではないだろうか。

F先生の凄いところは「タイムマシン」レベルの「夢」を描く際にも、「屋根で寝そべる」レベルの「夢」を組み合わせてくる、ということだ。

例えば、タケコプターで飛行する際も、多くの場面で玄関からはなく、のび太の部屋の窓から飛び立つのである。これは出入りが逆になっているだけで、

「自分の寝室に窓から侵入して眠る」のと同じことだ。タケコプターという派手な道具立てだけに頼らず、こういう細かい部分で読者を知らず知らずのうちに高揚させるF先生。

さらに言えば、なぜ玄関から出ないかといえば、もちろん1階で監視の目を光らせるママを出し抜く為である。

これはまさに「反対運動」(窓から外に出る)による「反対運動」(ママを出し抜く)ではないか。

2112年の世界には到底届かないとはいえ、原作マンガが描かれた当時からはテクノロジーが相当進歩した現在、企業がドラえもんの道具を実現するプロジェクトを立ち上げたというような話もある。

が、正直僕はそうしたものにほとんど興味が持てない。

敢えて言おう。ドラえもんを読んだ我々が行うべきことは、夢の道具を再現することではなく、屋根の上で寝そべることであり、押入れで眠ることであり、

また、反対向きの電車に乗ることであり、自分の寝室に窓から侵入することなのである。

これはもちろん比喩でもあり、比喩でなくもない。

註:

前衛芸術活動家(彼の場合、単に「家」より「活動家」とした方がしっくりくる気がする)であったはずの赤瀬川原平は、ある頃より「おもしろおじさん」(僕の大学時代の某教授の評)になってしまったわけで、「父が消えた」で芥川賞作家となった際も既に「私小説家に堕した」というような批判があったかもしれないが、この一節には確かに赤瀬川に特徴的な「前衛としてのある種の「勘」」のようなものが感じられないだろうか。

新宿 スバルビル解体でどうなる「新宿の目」

新宿スバルビル地下のマクドナルドが閉店してしまったことに今更気が付いた。調べてみるとスバルビル自体が解体になるらしい。

あそこのマックでコーヒーを飲んで一息ついてからブックファーストへ行く(あるいはその逆)、という僕にとってのささやかな「黄金ルート」を失ってしまった。

すぐ近くに別のマックやドトールはないし、コクーンタワーの中にタリーズがあるようだけど、タリーズはちょっと高いので敬遠してしまう。

「黄金ルート」の代替は効かなそうで残念だ。

そもそも「スバルビル」という響き自体がなんともいえない良い雰囲気をもっている。やっぱり残念だ。

しかしそれ以上に大変な問題がある。スバルビルが解体されてしまうということは、「新宿の目」がどうなってしまうのか、ということだ。

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東京近辺の方には説明不要だと思うが、「新宿の目」はスバルビル地下の壁面にはめ込まれている、巨大な片目を模した、いわゆるパブリックアート作品である。

新宿西口地下広場から、高層ビル街方面に向かう通路の曲がり角に面して設置されている。

目は透明で色付きのアクリル素材でできている。その内側からは光が照らされ、さらに瞳孔にあたる部分の中はぐるぐると回転している。

その第一印象の多くは間違いなく「怖い」だろう。西口地下の空間が全体として薄暗く天井が低いのと、目の周りの壁面がマットなブラックにペイントされているのも効いている。

作者は宮下芳子氏。そして制作年は1969年!なるほどいかにも1960年代っぽい、と思う。

僕は、新宿という街の「目」が地下にあるというアイディアはとても面白いと思う。

地上の新宿といえば歌舞伎町とか超高層ビルだったりするが、その「目」は地下にあって、いつでも大きく見開き、ギロギロと瞳孔を回転させている。

そして目の前を行き交うサラリーマンその他多くの人間を、瞬きもせず見つめている様ははっきりいって威嚇的ですらある。

こんなパブリックアートは、現代にあっては間違いなく提案段階で却下されるだろう。

奇跡的にそこを通過しても、公表段階で「市民」から「怖い」「不気味」「街のシンボルとしてふさわしくない」などと叩かれて計画修正を余儀なくされるだろう。

「新宿の目」は二度と実現不可能なのだ。

少し話を広げると、新宿西口の一帯はおそらくもう何十年と大規模な再開発がされていない。

西口の空間的なもっとも大きな特徴は、あの地上から地下にぐるっと潜りこむ、左右対のスロープで繋がれた地上地下の2層構造だろう。

(僕は車に乗らないので残念ながら利用したことはないのだが、地下通路のさらに下は駐車場になっている。)

地上には小田急と京王のデパートが高さを揃えて連なっている。デパートの正面はロータリーになっていて、真ん中の緑地帯に地下の換気用らしき巨大な排気塔が何本か立っている。

この特徴的な新宿西口広場の設計は坂倉準三の手によるという。竣工は1966年。

地上の小田急百貨店の開店は1962年。京王は1964年で、どちらの建物も当時から変わらない。ちなみに小田急百貨店も坂倉事務所の設計らしい。

あの小田急ファサードは時代を感じさせるものの、美しい造形だと思う。

地下にしても、60年代終わりの「新宿フォークゲリラ」の写真なんかを見ると、当時と基本的な雰囲気はほとんど変わっていないようだ。

床の、円を描いたタイル模様が当時からのものであることがわかる。

ほとんど休みなしに工事が繰り返されている新宿駅にあって、この西口広場一帯の空間だけは不思議なほど変わらない。

坂倉の基本設計がよほど優秀だったということだろうか、と思ってしまう。

仮に「新宿の目」が取り壊され、あの一角が別の何かに変わるというようなことになれば、西口広場にとっては大きな変化といっていいかもしれない。

どういったわけか、僕は小さな頃からあの西口広場の雰囲気には特別惹かれ続けている。

先にもあげた、床を装飾する円状の白黒タイル模様も「目」と呼応しているようで怪しげな魅力がある。

やたらと低い天井から幾つも下がる、黒地に黄文字でズラズラとビル名が書かれた案内板も絶対怪しい。

地下の壁面は素材感のある、現代的センスでは考えられない妙な色合いのタイルが貼られている。

地上に突き出している巨大な換気口の円筒の表面は、地下のタイルと同じものが貼られているが、

ほとんどが厚いツタに覆われている。その姿はほとんど恐怖を感じさせる。

地下広場の南側に位置するイベントスペースはひときわ天井が低く、ここでは古書市や「矯正展」(刑務所作業製品の販売)といった、

やはりなんとなくあの独特の空間と呼応するようなイベントが開かれている。

変わらないように見える西口広場にも、変化している面はある。

まず、昔は地下にホームレスの家がたくさんあったのを覚えている。彼らは90年代の後半にここから徹底的に追放されてしまった。

それから、あそこにはポツンと立って詩集を売っている人がいつもいたが、見かけなくなったのはいつからだろう。(この方についてはネットでいくらかの情報を得ることができた)

地上のロータリーの歩道には靴磨きのおじさんが何人かいた気がする。

あの路上で靴を磨くおじさんと、台の上に片足を乗せるサラリーマン、という光景もいつの頃からか、新宿のみならず東京ではほとんど目にしなくなってしまった。

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話はさらに脱線するけど、僕の子供時代には駅の改札はまだ有人で、途中から自動改札に変わった。駅員さんの手元にある袋に切符が山のように溜まっているのを興味深々に見たのを覚えている。

改札の近くには黒板があって、「〇〇(人名)、先に行く」などと書きなぐってあった。新宿あたりの街にいくと、電柱なんかに必ず右翼のビラが貼ってあった。あれも見なくなって久しい。

先のホームレスなどの事も合わせて、都市空間が「整理」「浄化」されきっていない時代をかろうじて目にしていたのだな、と思う。

新宿西口について書き始めると止まらないし、いろいろなことを思い出すが、それにしても「新宿の目」、どうなるのだろうか。

(2018.11の雑記に加筆)