「人生」について

人生は難しい。先は読めず、使える時間も与えられた能力も限られている中で、各々が自らをマネジメントしていかなければならない。もちろん、そこには妥協とかも当然必要になってくる。


……という考え方が、そもそも「人生」に毒されすぎなのだ。我々はあまりにも「人生」という思考を自明のもとして考えすぎている。ネットも書店も「人生」の枠組みの中に人間をガチガチに縛り付けるような情報が氾濫している。


ところで、山崎ナオコーラさんの「反人生」という本がある。読んでいないのだけど、タイトルはラディカルだと思う。


猫には人間でいうところの人生という概念はないだろう。そうすると、猫にとっての時間の経ち方ってどんなものなんだろう、とたまに思う。たぶん保坂和志はこんなことばかり考えている。


経営哲学とか人生哲学という言葉の「哲学」は、およそ哲学からはかけ離れていて、そういう言葉を使ってる人ももちろんそんなことはわかっているはず(と思いたいが……)なのだが、もし、「人生」や「経営」の外部へ外部へ、と思考していく、いわば「人生批判」のような形であれば、それは少しは哲学たりえるかもしれない、いや、やっぱりそんなこともないかもしれない。