文章を書くということ
なにはともあれ続けること、そしてできるだけたくさん更新するというのがブログの鉄則らしく、実際このブログはそれを守らないため、ほとんど人が来ない、超がつく過疎ブログである。
秘境駅ならぬ秘境ブログ。
というわけで、なにを思いついたというわけではないが、とにかく何か書いてみようと思い、いまパソコンの前に向かっている。こんなものを読まされる側はたまったものではない。こんどは秘境ブログならぬ卑怯ブログとかいわれたりして。
文字だけでは味気ないと思うので、せめて最近撮った野良猫の写真も貼っておく。
唐突だが、外山恒一「全共闘以降」(イースト・プレス)のあとがきで外山が言うところによれば、600ページ近い同書も、外山が書きためていた、本来の”オリジナル版”からは相当圧縮したもので、”オリジナル”で原稿用紙1300枚分に相当する部分も360枚分まで削ってあるそうだ。
これはすごい。外山恒一のような人が、普段どんな生活を送っているのか想像するのは難しいが、おそらく一度スイッチが入ると過集中的に書きまくるタイプであるのと同時に、毎日コンスタントに原稿に向かう、割と規則正しい生活なのだろうとも想像する。
ところで、うろ覚えだけど、東浩紀が「Twitterで短文をどれだけ書いても、まともな長文はいつまでたっても書けるようにはならない」みたいなことを言っていた(完全なうろ覚えなのであしからず)。これは確かにそうだろうと思う。
あと、これまたうろ覚えで恐縮なのだが、ジョン・レノンが「なにか気の利いたことを思いついたら紙に書いてポケットに突っ込んでおく。ポケットがいっぱいになる頃には本が一冊できるってわけさ」みたいなことを言っていた気がする。
Twitterなんかはまさにこの「思いついたら紙にメモしてポケット」をテクノロジーで具現化したようなものだけど、ツイート数が4桁になってる人でも、それが本になった人はほとんどいないだろう。ごく少数の例外はあると思うけど。
最後に、僕が作った、うみちゃんというキャラクターを紹介する。
うみちゃんはいろんな形態をもつ。というより、大まかなイメージとしてのうみちゃんというものがあり、実際に現れる形態はその時々によって様々だ。それがうみちゃんなのだ。