嗚呼、恐るべしテプラ

最近、仕事で久しぶりにテプラを使いました。

以前、デザインの敗……とかで妙な注目を浴びたテプラですが、改めて使ってみると、この"ザ・物理出力"感、これって人間にとって非常に馴染みやすく、離れがたい感覚なのだ……そんな仮説を提唱したい気分になりました。楽しいんですよね、単純に。あの本体のデザインにしても、実に親しみが湧くというか、安心感があります。なんていうんだろ、「全部見えてるし、手でさわれる」みたいな。

これに関して思い出したのがワープロです。子供の頃(90年代初頭)、私は親が仕事用に購入したNECの「文豪」を時々おもちゃ感覚でいじっていました。見た目が珍奇な記号だとか、標準で入っていた装飾パーツだとか、そんな無意味ものを感熱紙(!)に印刷しては喜んでいました。今にしてみると一体何が面白かったのやらという感じですが、あれも実は「テプラ」的な快感だったのではないかと思えなくもありません。 

やってる事自体は、パソコンで作成したデータをプリンタで印刷しているのと一見同じなのですが、重要なのは「入力装置・ディスプレイ・物理出力装置」の三位一体です。つまり、手元のキーボードでカシャカシャと入力し、ディスプレイに映し出されている絵面が、ディスプレイを隔てた反対側からギュイーンガシャガシャとプリントアウトされる……このダイレクト感こそが「テプラ」な快感の正体なのではないか。

無駄に小難しくなりましたが、要は「打ち込んで画面に表示されてる文字がそのまんま出てくる機械がキモチイイ」ということですね。 

テプラに戻ると、カートリッジを交換することで9ミリ、12ミリ、18ミリと複数の幅のラベルを作れるという仕様も気が効いているというか、ニホンジン的な感性に訴えまくりです。また、変換機能や各種設定といった操作系にしても、ちょうどいい塩梅で「いじってるうちにわかる」ようになっていることに気付きます。それほど機械に強くない人でも、2人くらいで「文字の大きさ変えるには……『書体』を押して、下行って……あっ!これじゃない?」とかワイワイやってるうちにわかってくる。また、カートリッジ交換の容易さとか、見かけの構造の単純さという点ではテプラはワープロにはるかに勝るかもしれません。 

さて、着眼点が変わりますが、テプラで作ったラベルの「強さ」。これは凄まじいものがあります。ここでの強さというのは粘着力とか耐候性のことではありません。どんなオフィス、その他の空間であろうと、あのテプラ製ラベルが何枚か目につくところに貼られるだけで、そこはたちまち「テプラのラベルがある、あの空間」になってしまう、あの染め上げ力の強さです。「世の中には2種類のオフィスしかない。テプラが貼ってあるオフィスか、それ以外か」そんな戯言すら思いついてしまった。

 というわけで、僕が目下気になっているのは、テプララベルが帯びる、謎の空間染め上げ力の正体です。最初に疑いを持ったのは、あの独特の、ギザギザ(ジャギー?)を隠さぬ明朝体やゴシック体です。あるいは、やはり独特の「テプラ色」とでも言うべき蛍光色っぽいオレンジや緑のテープ色に起因するのか。しかし、白色のテープでもテプラパワーはさほど減じない気がする。となると、怪しいのはテープ表面のテラッとした肌合いでしょうか。

 なにはともあれ、ううむ、恐るべしテプラ。