水濡れ本を冷凍してみた

・あいかわらずのオッチョコチョイで、先日は水筒(近頃マグボトルとか呼ばれてるやつ)にパッキンをはめ忘れたままカバンに入れてしまいエラいことになった。そういえば、小学生の頃に遠足とか社会科見学でバスに乗ったとき、車内の一角が「なんか上から水たれてきてない?」とざわつき出し、見ると網棚に載せた誰かさんのリュックから大量の麦茶が……なんて事件が一度ならずあったな、などと思いだしてしまった。

・パソコンなどの電子機器や汚すとまずい書類を入れてなかったのは幸いだったが、新潮文庫版「ノルウェイの森(下)」がビショビショになってしまった。7、8年前に古本で買ったもので、登場人物のセリフを覚えるくらい何度も読んですでにボロボロだったのだけど、どうやら水濡れ本を冷凍して再生する方法があるらしいので試してみることにした。

ジップロックに入れて冷凍庫で1日冷凍したあと、重しを載せて5日間放置しておけばいいらしいのだが、やはりオッチョコチョイなので丸1週間以上も冷凍してしまった。今は鈍器のような「プログラミング言語Java(第4版)」の下敷きになっている。残念ながら濡れたあとかなり時間がたってから冷凍したのであまり期待はできないけど。

・僕にとって村上春樹の小説は文学というよりはマンガ本みたいなもので、たまに読み返したくなってカバンに放り込んでおく。

 

参照サイト:

https://plus.tver.jp/news/tbstopics_82738/detail/

雨、吉牛、aiko

2022年5月3日
夜10時半の吉野家は、雨天にも関わらず遅い夕食を摂る人で混み合っていた。僕が案内されたカウンター席の両脇も既に先客で埋まっていた。店員さんに注文を伝えてしまうと、お冷を飲みながら僕はカウンター奥の壁に設置されているテレビを何となく見上げた。画面の中では、金髪でボウズかつ袖の短いTシャツから腕をニョキッと出した松本人志がゲストと喋っていた。テレビは〈消音〉になっているけれど、画面下のテロップを読めばちゃんと松っちゃんの声がする。

店内では、先ほどから店員の女の人が15秒に1回くらいの頻度で客もしくはキッチンのスタッフに呼ばれている。その度に店員さんは大きな声で返事をし、呼ばれた方角にキビキビと歩いていく。入口のガラス戸からは、濡れた道を走っていく車の音が席まで漏れ聴こえてくる。僕は上着のポケットからカナル型のイヤホンを引っ張り出して耳に押し込み、Spotifyの再生ボタンをタップした。人の声も道路の音も聞こえなくなると同時に、僕の両耳の中でaikoが歌い出す。

 

 ねえ あのひまわり畑も下を向いてる 季節がゆくよ

 

「ある日のひまわり」。夏の終わりの歌だ。季節外れ。サビから始まった曲は、キーボードとギターのパートを挟んでAメロへと続く。

 

 何度も何度も書き直しては塗り潰して あたしは本当のことを何ひとつ言えなくて

 

aikoが歌っている間も、テレビ画面の松っちゃんはダウンタウンが31年ぶりに漫才をやった話を続けている。一個言わせてもらうとね、絶対に時事ネタはやらんというのは決めたの。カメラが切り替わって、熱心に頷く千鳥の大悟が映った。この人もボウズ。あ、アンジャの児嶋さんもいる。僕の前で店員さんが立ち止まった。親子丼が乗ったお盆を抱えている。僕がイヤホンを外してお盆を受け取ると店員さんが喋った。

「ご注文の品はお揃いでしょうか」

はい、どうもと返す間もなく、店員さんは今度はレジに向かって小走りに行ってしまった。見るとレジ前に何人か客が溜まっていた。僕は親子丼に向き直り、マスクを外して黒いプラスチックの箸を取った。そしてまたイヤホンを押し込んだ。aikoは「あの日のひまわり」の歌唱を続けていた。

 

 誇れるもの見失ったら 晴れたり曇ったりすることも必要ないと言われた気がした

 

なんて悲しい歌なんだろう。

僕は白いご飯とその上の黄色いフワフワに包まれた細切れの肉を見ながら思った。再度テレビを見上げると今度は千鳥のノブが喋っているところだった。僕はテロップを読んだ。

「31年やってなかったコンビが漫才やったら、誰よりも面白かった。これは衝撃的なことなんですよ」

今から31年前は1992年。平成元年生まれの僕はギリギリ生まれている。aikoは中学生のときに初めて聴いた。今は、2022年の5月。中学生の頃、市立図書館に何十回も通って借りてはMDにダビングしたCDアルバムのほぼすべてが、今ではネットのサービスで聴けてしまう。aikoはおととし結婚して、今年14枚目のアルバムを出した。僕は33歳になった。HEY!HEY!HEY!でアイドルやバンドマンをいじり回していた松っちゃんは、いつの間にか金髪になり、マッチョになり、ニュースにコメントする人になった。

気づけばテレビ画面では、座っていても背が高いとわかるタレントっぽくない女の人が喋っていた。 僕は画面下のテロップを読んだ。

栗原恵が現役時代影響を受けた言葉とは?」

驚いた。誰かと思えば元バレーボール日本代表栗原恵さん。

画面左上には「人志松本の酒のつまみになる話」と番組タイトルが書いてある。なるほど、松ちゃんも千鳥も栗原さんも微熱出したときみたいな顔色なのは、アルコールが入ってたのか。aikoの凄さについてなら2時間でも3時間でもシラフで喋れる、と僕は思った。僕の耳穴の中で今、aikoは素晴らしく伸びやかな声で、曲終盤の絶望的な歌詞を朗々と歌いあげているところだ。

 

 ねえ あのあのひまわり畑も下を向いてる 季節がゆくよ 目も合わせないあたしにあなたは笑わなくなったね もう決してあなたと同じ気持ちで泣けない事も知ってる

 

aikoが書く詞の多くは、鬱で暗くて後悔と心配が溢れそうにいっぱいだ。人々は「カブトムシ」の歌詞をちゃんと読んだことがあるのだろうか。「あなたが死んでしまってあたしもどんどん年老いて、想像つかないくらいよ」そんな詞の歌が24万枚も売れて、カラオケの定番にもなった。

親子丼を食べながらだんだん僕は、この店内で今aikoの歌を聴いているのが自分だけだということが悔しくてたまらなくなってきた。左隣りの席のおじさんは、箸を口に運びながらお盆の脇に置いた夕刊紙を読んでいた。右隣の若い男の子は、先ほどから定食のおかずに手を付けず白いご飯のお椀ばかりつついている。店員さんは、レジの会計待ちを捌きつつ客席のオーダーと配膳と片付けをこなすという離れ業をなおも続けている。テレビ画面の中の人達は相変わらず「酒のつまみになる話」をしている。

誰もaikoなんて聴いていなかった。

アメリカではもう誰もブログなんてやってないんだってさ

・まったく余計なお世話だとは思うが、ひろゆきはいつまでビールを飲みながら他人の人生相談に回答し続けるつもりなのだろうか。「2ちゃんねる」とは違って他人に任せてしまうことも、「乗っ取られる」こともありえないわけで、かといって5年も10年も続ける類のものでもないだろう。

・話は変わり、最近、一時期は中毒気味だったTwitterの投稿を少し控えめにした分、ブログに書く回数・量が増えた。ブログのよいところはTwitterに比べて「早くない」ことだと思う。書くのに時間がかかることは、衝動や思い付きで投稿して後から自己嫌悪に陥る可能性をだいぶ減らしてくれる。

・そのブログも、登場した当時はそれまでの個人ホームページ、あるいはウェブ日記に比べれば段違いに早い媒体というかシステムで、「Welcome to Takashi's Homepage」みたいな文化にそれなりに愛着があった僕は、ブログの来襲に割と敵意を覚えていたことを思い出す。

・ところで、以前に某言語交流SNSで「英語圏でポピュラーなブログサービスって何かある?」と質問したら、アメリカ人とオーストラリア人から「ブログ?今どき読む人いるの?」「ああ、日本ではまだ盛んなんだよね……」みたいな反応が返ってきたことがある。まったく、日本のガラパゴスなネット文化のおかげで僕は国際交流の場で赤っ恥をかくことになってしまったのだ……というのは冗談として、とにかく彼らの国ではもうブログなんて書いてる人は全然いないらしいのだ。

・では、Twitterとかに書けない長文を一般人がネット上に公開したい時には一体どうするのかという疑問が当然生じるけれど、どうやら、もうそういうことをする人自体がいないということらしいのだ。これは結構衝撃的なことだ。……逆にいえば、いったい僕も含めた日本語文化圏のネットユーザーはなぜこうも熱心にネット上に長文をしたため続けているのだろう?

 

聴こえたり聴こえなかったりする電車の音

・子供の頃、外で遊んでいたり歩いていたりするとき、線路からはかなり離れている場所のはずなのに、たまに風や自動車の音に混じって電車の走る音が聴こえることを不思議に思ったものだった。

・大人になった今では、ビルや住宅あるいは地形の関係で意外に遠くまで音が伝わるものなんだろうと、一応の大人なりの理屈をつけてみてはいるものの、同じ場所でも聴こえる時と聴こえない時があるし、自動車の交通が減る夜遅くに聴こえるのかというと必ずしもそうでもないように思え、結局未だに不思議は残ったままだ。

・というかそもそも「聴こえないとき」というのも、聴こえていなかったのか、それとも聴こえていたが気に留めなかったのか、思い出そうとすると自信が持てないようなところもあり、何というかほんのりとした不気味さ(=不安・不快ってほどではない)がある現象だよなと思う。

新宿の上空

・用事で久しぶりに新宿まで出た。用を済ませた後、ちょっとした散歩のつもりで南口のサザンテラスを歩いていると、その上空をでかい飛行機がひっきりなしに飛んでゆく。羽田に着陸する飛行機たちだ。都心上空を通るいわゆる「新ルート」が使われるようになってからもう2年経つけど、やっぱり「でかい(=低い)な」と思わず見上げてしまう。飛行機はミロードのビルの向こうから現れ、甲州街道とサザンテラスにひとしきり爆音を轟かせたかと思うと、あっという間にドコモビルの彼方の空へと飛び去っていく。

・飛行機はまるで山手線の電車のように次々、同じコースを辿って飛んでくる。そして、その高度は機体のディテール、たとえば主翼下面に描かれた日の丸のマーキングや、揚力を稼ぐために展開されたフラップなどを視認できるほどに低い。僕はいちいち顔を上げ首をねじってそれを見届けるが、周りにはそんなことをしている人は他に誰もいない。f:id:TomotaroOhtako:20220504090107j:image

昨日晴れで今日はまた雨だった

・(昨日書いた文章なので一日ズレている)おとといは雨で昨日は晴れで、今日はまた雨だった。と書くと小学生の日記みたいな文章になってしまうけど、そうとしか書きようがない。

・今年の春は、まるで梅雨入りしたような天気が続いたかと思うと、天気は良いのだが空気がヒヤリとして春というより秋のような日が来たりと、ほとんど日替わりあるいは週替わりで四季が巡っているように感じてしまう。しかし、新緑の生命力が爆発したような圧倒的な緑色だけは今年も不変で、僕は桜も好きだけれどこの緑色の爆発を毎年心待ちにしながら長い灰色の冬を耐えている。


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・上の写真は近所の公園というより緑地といったほうがいいような公園で撮った。

4月も終わりだが寒かった

・明日で4月も終わりで、世間的にはゴールデンウィークという季節だが今日は一日中雨でしかも寒かった。夕方過ぎにはスマホの待ち受けに表示される気温が10℃を切っていた。

・高校生のとき通っていた美術予備校で、千住博さんの講演を聞いたことがある。そこで、ニューヨークという街は寒暖差がすごくて体が強くないとやっていけないんだと言うようなことを千住さんが話していたのを覚えているのだけど、東京もなかなかなものですよ。

・相変わらずのズボラで未だに冬物を片付けていないのだけど、今日はそれで助かった。そもそもズボラなだけでなく極端に寒がりなので、春から初夏は世間の平均より1ヶ月弱遅れくらいの服装でいることが多いのだけど。

・おそらくこれからは毎年こういう季節外れだったり極端だったりな天気がどんどん普通になっていくんだろうと思っている。

・「純日記」的な内容になった。ではごきげんよう